No.1957
大阪行きの飛行機に乗るため
早めに仕事を終えた
時間がなかったが
母親を治療して車に乗り込んだ
カイロプラクティックと
オステオパシーを学び
人間関係が良くなる
選択心理士として
心と身体のバランスを診ていく
永ちゃん先生です
母親は90歳だが今でも治療している
1日に1人限定で
治療しているというより
患者さんが母親と
話がしたくて来ているような
治療家の母親の影響で
自分も治療家になった
25歳の時に運転手役で
母親を青森市で行われていた
月1回の治療の勉強会を
連れて行った時に
会の人から
息子さんも勉強してみないと言われ
なぜかしら
ハイ!とテキストを受け取った
治療の勉強は面白くて
東京へも学びに行くようになった
そんな時に会の理事長だった
院長に誘われ
名古屋にアシスタントに
行くことになった
そこは
たこ部屋OO堂と呼ばれていた
院長が盛業できると
見込んだら卒業できる
システムになっていたからだ
休みの日は
ぐったりでひたすら休養にあてた
運転手付きの社長や家族がきていて
いきなり
です!ます!
の世界に放り込まれたからだ
津軽弁しか話せなかった私には
そうでございます
の世界は厳しかった
今思えば
修行にはとても良い環境だった
患者さんである社長さんの
手帳はスケジュールで真っ黒
それでも
1週間に1回の治療の時間を
見つけて通ってくれていた
社長である自分が倒れたら
働いてくれている
従業員と家族が
大変なことになるからね
その一言は今でも忘れられない
今でも
大切にしないといけない
心構えだと思う
そんな時代が今の自分を支えている
そして治療家の自分があるのは
母親のおかげなので
毎週1回は治療すると決めた
そんな母親が90歳で現役
自分もそうなれたらいいなと思うが
そのためには
これをやめなくてはいけないのだが
Profile
1958年青森県生まれ。治療家の母の背中を見て、自らも治療家の道を志す。
名古屋の著名治療院で修業を積み、青森に帰郷。有限会社カイロプラクティック小野の設立。
日本カイロプラクティック師協会の初代会長として、後に顧問へ。
治療歴37年、患者数約16万人。
シカゴのナショナルカイロプラクティック大学、大連医科大での学び。1997年、世界カイロプラクティック大会in東京での研究発表、大絶賛を受ける。
治療法は、解剖学的治療、バイオエネジェティック、選択理論心理学の融合。患者の心と体へのアプローチに重点。30年通院したおばあちゃんの要望に応え、青森市に治療院開設への決意。
治療を通じて、患者とその家族の幸せの増進を目指す。